サラ・ルーカスとは何者か - 財務状況を公表しない訴訟目的の団体 Australia For Dolphins

本日25日、和歌山県東牟婁郡太地町のくじらの博物館が豪州人に訴えられた件が結審し、当ブログは多数の報道社や企業からアクセスを受けている。太地町側は原告らに対し11万円を支払うこととなったようだが、果たしてこれが正しいことなのかお考えいただきたい。

原告らは無許可でテレビ番組を撮影


サラ・ルーカスら
2014年2月、オーストラリアで放映されたテレビ番組。中央の男性は2015年に脳腫瘍で他界したゴールドマン・サックス・オーストラリアの役員のアラステア・ルーカスで、左の女性が娘のサラ・ルーカス(Sarah Lucas)である。番組はThe Killing Cove というタイトルで太地町や関係者を批判する内容であった。この映像の後、原告らは館側に注意され退出したが、後日訴状を持って現れた。
これについては館側が逆に訴訟を起こせたのではないだろうか?


財務を公表しない原告の主催団体

原告のサラ・ルーカスは太地町のイルカ漁や水族館が不当な利益を得ているかのような主張をしていたが、当人はどうなのか。原告が主催する オーストラリアフォードルフィンズ(Australia For Dolphins, AFD) は法的手段を用いて太地町のイルカ漁を停止することを謳っている。寄付も募っているが、団体の財務状況については公表を予定していた2014年を過ぎた2016年現在も公表されていない。

Australia For Dolphins financial

Australia For Dolphins のホームページより。Using your money wisely というが、2014年に公表されるはずの財務状況は2016年3月25日現在まで公表されていない。
故アラステア・ルーカスはケニアにシロサイを輸送するのに$100,000 を支出しているが、AFDは裁判に2年間費やし、原告が11万円を得ただけである。これで賢い運用がされたとでもいうのだろうか。

当初、670万円を請求していた原告は、裁判が進むにつれ330万円程度の請求へと妥協し、結果的には11万円を得ただけとなった。しかし、AFD はこれを勝訴ととらえ、成果を謳うだろう。

法的手段を乱用しても、このような結果であったということを強調しこの団体の存在意義を世界に問いたいものだ。


関連エントリ
サラ・ルーカスとは何者か - 毎日新聞の論点

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ビハインド・ザ・コーヴの批判について - 解体新書「捕鯨論争」の著者ら

解体新書「捕鯨論争」(石井敦 編著、新評論、2011年)の著者らが SNS 上で映画 ビハインド・ザ・コーヴ〜捕鯨問題の謎に迫る〜(八木景子 監督、合同会社八木フィルム、2015年)を批判しているようであるが、その批判があまりにも稚拙であるため指摘させてもらう。

解体新書「捕鯨論争」の著者ら 石井敦 と 真田康弘 は Twitter にて「米国が1972年の国際会議で捕鯨問題をベトナム戦争批判の回避のために利用したというが、公文書にそのようなことは書いていない」という旨の批判をしている。石井、真田らはアメリカ合衆国国務省がインターネット上で開示している文書 Foreign Relations, 1969-1976, Volume E-1, Documents on Global Issues, 1969-1972 を提示し「そのようなことは書いていない」と批判する。

これは識者とは思えない稚拙な批判だ。 ビハインド・ザ・コーヴは学術的な映像記録ではなく、関係者や監督の体験をまとめた映像であり、米国の捕鯨問題への関与を思わせるだけの内容であったからだ。森下丈二、梅崎義人らの証言をもとに八木らは公文書の開示を要求し拒否され、訪米し米国人の証言を聞くという内容であった。つまり、公文書に書いてあろうがなかろうが、監督らはその真偽を確かめようと試みていたことが窺い知れるものであった。

1972年の国際会議とは、国際連合人間環境会議(ストックホルム会議)のことであり、この会議は1960年代に酸性雨の問題を懸念したスウェーデンが国連に要請し実現した世界的な会議である。当時アメリカはベトナムへの介入を続けていたが、反戦を訴える国民や国際社会の印象を変えるためにこの会議を強く推し進めたことは、捕鯨問題の当事者以外からも言われていることである。捕鯨モラトリアムの提言はその一つの要因であったことは疑いようがない。解体新書「捕鯨論争」の第二章で真田は、いかにアメリカがこの会議で捕鯨問題に強く関与したかを述べているのであるが、米国国務省の開示文書のみをもってこれを否定することは不可能である。

ストックホルム会議会議以外でも、当時アメリカは対日姿勢を強硬にしていた。1971年のニクソン・ショックである。当時の社会情勢をみれば、米国が捕鯨問題をスケープゴートに利用したと関係者に推測させることは当然の成り行きではないか。

そもそも、東北大学東北アジア研究センター所属の石井や社会問題が専門の真田らが、なぜベトナム戦争のようなインパクト要因を無視し、日本の外交や捕鯨政策を批判するのか疑問である。加えてSNSを利用した批評は各所属のコンプライアンスを疑う。当時の米国政策の迷走こそ社会問題として研究することの方が有意義な発見があるかと思うがいかがなものか。

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危険なこと、汚れることが大好き
サメ野朗。

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