水産政策論者は信用できるか - 伊豆のスジイルカ

19日、静岡県の伊豆半島ジオパーク推進協議会が、伊豆半島の世界ジオパーク認定を保留されたことについて声明を出した。今年11月に国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が世界ジオパークを事業化することで認定基準が厳格化しており、その一端でイルカの追い込み漁について指摘されていたとのことだ。

ならばなおさら、ユネスコに対しイルカの追い込み漁について説明が必要になる。ユネスコは環境や生物の保全保護にも力を入れてきており、これまでのイルカ漁がこの意に反することを懸念している可能性もある。


反捕鯨団体に利用された捕獲数の推移

一部報道にあるが、伊豆半島では最盛期に年間捕獲数が1万頭を超えていたが、平成16年以降漁が行われていないとされている。あたかもイルカの追い込み漁がイルカの個体数を激減させ、イルカが捕獲できなくなったかのような印象を与える。太地町のイルカ漁でも、南極海調査捕鯨でも捕獲実績が捕獲枠に満たないことを理由に批判されている。

しかし、私のように水産資源を学んだ者にはそのようなトリックは通用しない。漁獲が少なくなった要因は資源量のみでなく、海洋の環境、漁業形態の変更が大きく影響するからだ。

伊豆のイルカの追い込み漁を厳しく批判した識者に、鯨類の研究を専門とした 粕谷 俊雄 がいる。粕谷は1975年、スジイルカの捕獲数の減少を理由に、水産庁の捕鯨班長に伊豆のイルカ資源の保護を直訴したというが取り合ってもらえなかったことを著書などに記している。
粕谷は膨大な資料を基に2011年に イルカ 小型鯨類の保全生物学(東京大学出版会) という著書を発行しているが、そのなかで伊豆のスジイルカについて触れている。粕谷は漁業管理の失敗と結論づけているが、これについてはやや浅はかな結論であると私は見ている。私が疑うのは、粕谷がところどころに記している根拠のない文章である。例えば356項77行目である。


(引用開始)

このようにして,1960年代から1970年代にかけて伊豆半島沿岸のイルカの追い込み組織の数はほぼ安定していたのである.ただし,使用するイルカ探索船の性能はその間も向上を続けたので,操業の質をも考慮すると操業努力量は増加したとみるべきである.

(引用終わり)


粕谷は操業努力量は増加したとしているが、果たしてそうであろうか。
私から言わせれば、イルカ探索船の性能が10年間向上し続けるとは考えにくい。

伊豆ではイルカ漁の際にはその地に住む人々が総出で漁を行っていたが、1950年ごろには漁協が組織され始め、漁業者とそうでない者との区別がつけ始められている。

1958年には 狩野川台風(台風22号、Ida) で伊豆半島は甚大な被害を受けた。

1960年には稲取と安良里がイルカ漁を停止しつつあったが、川奈や富戸がそれにとって代わっており、操業努力量が増加したとは言えない。

1973年には第一次オイルショックが勃発し、漁獲努力量が増加し続けたとは考えにくい。決定的だったのは1978年の第二次オイルショックだったのではないだろうか。
マンパワーは減る、操業コストは増加する。漁船のエンジン性能でこれらを上回る効率を得られるとは思えない。つまり、捕獲数の減少は漁獲努力量の減少とも考えられるのだ。

また、1954年~1973年は日本の高度経済成長期。開発が大きく進んだ時期である。海洋には船舶が増加し、海岸は開発が進み海洋には劇的な変化がもたらされた。日本沿岸の汚染がもっとも激しかった時期である。このような条件を無視して捕獲数の減少を乱獲と結論付けることは浅はかである。

IWC国際捕鯨委員会ではスジイルカの捕獲数の減少を理由に、スジイルカの系群判別の実施を日本に勧告したことは事実だ。しかし、日本近海で複数の系群が存在している確証は現在も得られていない。冬季以外はスジイルカが沖合に広く分布していること、和歌山県沖で放流された個体が伊豆諸島にまで回遊していることを考慮すれば、伊豆半島沿岸に大きな変化が生じていたと考えるのが妥当であろう。

遠洋での混獲による個体数の減少も考えられる。1960年代から1970年代にかけては、 マグロのまき網漁によりイルカが混獲され数を減らしていた。約25年間で、東太平洋の75%、世界中の半数以上のマダライルカが減少したと考えられている。太平洋側でのマダライルカの激減は、冬季に日本沿岸にやってくるはずの当時「スジイルカ」と呼ばれて捕獲されていたマダライルカの激減と結びつく。

地中海でもスジイルカの激減が認められている。結論は得られていないが、原因は地中海沿岸の汚染だと考えられている。

港
静岡県伊東市富戸漁港(2009年)
イルカの群れを発見しても船と人の数がそろわなければ追い込み漁を行うことができない。
昭和期の漁業形態とは全く違うものだ。

一方で和歌山県では1980年に1万頭を超すスジイルカを捕獲している。1979年に2つの経営が合併、再編された成果が出たものだろう。衰退し始めていた伊豆のイルカ漁とは逆の様相を見せている。

和歌山県の太地町は現在も追い込み漁でスジイルカを捕獲しているが、捕獲数は300~500頭前後と安定している。漁業者側が捕獲枠を守るために調整していたり、現在の努力量が捕獲枠内に収まる規模であると考えることが妥当であろう。
現在、エルザ自然保護の会 などが伊豆に追い込み漁実績がないことを理由に捕獲枠を見直すことを主張しているが、漁業者側が追い込み漁を残したいと決めているのであれば捕獲枠は残しておくべきだ。

スジイルカとマダライルカ
太地町立くじらの博物館で飼育されているスジイルカとマダライルカ
いずれも飼育が難しいとされてきたが、博物館の努力で長期の飼育が可能となった両種、
あなたはスジイルカとマダライルカの区別ができるだろうか?

粕谷も懸念していることだが、過去の捕獲実績はスジイルカやマダライルカなど似た種が混同されており、正確な統計が得られない。資源量を問題とするのであれば継続的なモニタリングが必要であり、伊豆の追い込み漁もそれに寄与するものとなることを望む。


漁業者に批判的な水産政策論者がいる

水産政策論者の中には、漁獲量の推移のみを理由に、漁業者の乱獲と断じて資源管理を論じている者がいる。漁業者側の都合や経済、漁獲対象となる生物の生態を無視して、なぜそのようなことを論じるのかが疑問であった。粕谷の場合、思想的な事由があったことが著作から窺えた。終章は蛇足であり、粕谷自身がバイアスを持っていることを公言しているようなものであった。帝国主義や漁業者を批判する前に、漁業者と与えられた数字に真摯に向き合うべきではなかったのではないか。

伊豆半島ジオパーク推進協議会は「どのような意見も排除すべきではない」などとユネスコに回答しているようだが、まずは地元の人々の声を聞くべきではないのか。伊東市の民俗 という伊東市教育委員会が編纂した資料にはイルカ漁の歴史が口伝によりまとめられており、これを読むだけでもイルカ漁に長い歴史があり、それにまつわる風習が残っていることを知ることができる。合併前に各地で行われていた当時のイルカ漁がどのようなものであったのか、各地の漁業者の協力を得て、イルカ漁がジオパークの概念に反するものでないことをユネスコに説明をすべきであろう。時代の流れの中でイルカ漁は変化し、この10年は行われていないが、このイルカ漁という文化を残そうと努力している人々がいると。

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説明すべき伊豆のイルカ漁 - イルカ漁を含め認定を

世界ジオパークネットワークが、静岡県伊豆半島の認定をイルカの追い込み漁を理由に保留していたことが報道された。南極海の調査捕鯨出航のこの時期は反捕鯨団体がネガティヴキャンペーンを行うことは例年のことであり、本件も伊豆に拠点をおく反捕鯨団体、個人からのリーク、マスメディアへの提供があったことが考えられよう。

静岡県の伊豆半島では、その特異な地形を利用し水産生物を捕獲する漁法が古くから編み出されており、現在確認されている文書では1691年(元和5年)からイルカの追い込み漁の分配記録が残っている。明治期には明治政府が調査を行っているが、すでに追い込み漁によりイルカが捕獲されていたことを、伊豆の村落は文書で回答している。

伊東市富戸の漁の始まりは伊豆半島ではやや後発の1898年のことであるが、世界遺産登録された伊豆の国市の韮山反射炉の建造が1857年であったことを鑑みるに、富戸のイルカの追い込み漁も長い歴史を持つと言っても過言ではない。イルカの追い込み漁の歴史を含めてジオパークとして認定するよう交渉をすべきだ。

富戸港
静岡県伊東市富戸漁協
和歌山県の太地町と違い、漁港内に遊覧船の発着、ダイビングスポット、定置網が混在し、追い込み漁を行うには様々な関係各所との連携が必要となる。加えて、漁そのものにもかなりのマンパワーを要するため、イルカの群れを発見しても容易には行えないという。

伊豆半島には和歌山県の太地町のように、イルカ漁の歴史を発信するものが残っていない。史跡、慰霊碑や文書などが残っているのにも関わらずだ。伊豆半島ジオパーク推進協議会、ことに同協議会会長の 佃 弘巳 現伊東市長はこれらについて調査し、世界ジオパークネットワークに説明すべきだ。イルカ漁を今後どうすべきなのかが議論ではない。それは、漁業者が決めることであり、ジオパーク推進協議会が決めることではない。

くじらの博物館訴訟について - 信用できない原告らの証言 Australia for dolphins

近く、2014年に反イルカ漁団体らが太地町立くじらの博物館に対して訴訟を起こした件で動きがあるようだが、客観的な見解を述べさせていただく。

去る10月、くじらの博物館を訪問したが、原告らの証言は信用できず、原告らの行動に問題があったと私は判断する。


博物館は人種差別を行ったのか?否、原告らの行動に問題

私が入場した際、そのようなことは一切なかった。入場者の中には外国人もおり、イルカとのダイビングプログラムを希望していた。また、原告らが博物館内に入場していることは公的な放送映像に残っており、博物館が外観から入場の可否を決定したとは思えない。

サラ・ルーカスら
オーストラリアの番組 60Minutes にて放映された The Killing Cove という特集。原告サラ・ルーカスと故アラステア・ルーカスがくじらの博物館内で撮影されているため、「外観から入場を拒否された」という人種差別行為などなかったと言える。

くじらの博物館プール
くじらの博物館内のプール。このプールでは定期的にショーが行われており、このようなところで許可なく長時間番組撮影を行うことは常識的に考えて迷惑であり、原告らの行動に問題があったと言える。

2015年8月11日に発行された イルカ漁は残酷か (平凡社、伴野準一)にこの件がまとめられている。221項10行目から原告サラ・ルーカスの陳述内容を引用する。

(引用始め)

私たちにはオーストラリアからきた『60ミニッツ』のテレビクルーが付いてきていました。彼らがチケットを買って、私たちは中に入りました。父と私はイルカショーを静かに見ていました。父は自分のカメラで何度か写真を撮りました。イルカショーが終わって私たちはプールの前でカメラに向かって静かに話していました。博物館からはいかなる指示もありませんでした。しかし突然博物館員がぞんざいに出ていくように伝えました。理由がありません。料金は払い戻されませんでした。

(引用終わり)

この陳述が事実だとしても問題がある。イルカショーが終わった後もプールではふれあい体験が行われており、イルカに触れたり写真撮影をする時間が設けられている。そのようなところで撮影を続けることは他の観客の迷惑である。

イルカに触れる
イルカに触れる体験サービスを体験した筆者の写真から。原告らが撮影を行っていたスペースは体験コーナーを利用する入場者の撮影に写りこんでしまい、ある意味営業妨害とも言える。せっかくの記念撮影なのに、バックに怪しい集団が写ってしまっていては極めて不快だ。

続いて同著より223項5行目からの引用である。

(引用始め)

二〇一四年二月五日正午頃、ルーカス親子二人とオーストラリア人の女性キャスター、そして四人のテレビクルーと日本人弁護士二人、通訳一人、合計一〇人のグループがくじらの博物館を訪れた。イルカ漁の漁期中とのことで、数人の警察官らが彼らに密着して監視している。ちょうど昼頃で職員が出払っており、チケット売り場で対応したのは館長の林克紀だった。彼は「反捕鯨の方は入場できません」というカードを見せて一旦はチケットの販売を拒否したが、日本人通訳女性が「観光目的です」と何度もいったので、チケットを売り入場を許可した(この通訳者は陳述書の中で「観光目的です」とはいっておらず、「アンチ・ホエーラーじゃありません」といったと主張しているが、林によると彼女ははっきり「観光目的」だと何回もいったという)。
 入場した彼らは、イルカショープールの前でルーカス親子の談話を撮影し始め、それを見た館長林克紀、副館長桐畑哲雄の二人が撮影現場に近づいて、副館長が「責任者は誰ですか」と尋ねると、彼らはそそくさと撮影を中止して列をなして退館した(原告側準備書面では、撮影が終わったころ窓口の男性[林]が他の職員[桐畑]を連れてやってきて弁護士と会話を交わし、弁護士が「出ましょう」といったので撤収したという)。
 四日後の二月九日頃、ルーカス親子二人が再び博物館のチケット売り場に姿を現した。父アラステアは手にしたカメラで動画を撮影している。窓口の女性職員は、カードを提示して二人の入場を拒否したが、それは四日前に彼らが無許可でテレビ用のビデオ撮影をしているからで、人種差別によるものではない。くじらの博物館では二〇〇九年九月、リック・オバリーが無許可で記者会見を開いて混乱が起きていた。

(引用終わり)

伴野氏の調べでも原告らの証言と異なっており、原告らは意図的とも思える行動をとっていたことがうかがえる。サラ・ルーカスの陳述は信用できないと私は判断する。


自称リック・オバリーは信用できるのか?否、本人も「間違い」を後日認める

この訴訟にあたり、自称リック・オバリー(Ric O'Barry、Richard Barry O'Feldman)も日本外国特派員協会の記者会見で発言をしていた。この発言についても伴野氏は著書、イルカ漁は残酷か に記している。下記は210項4行目からの引用で、自称リック・オバリーの記者会見中の発言である。

(引用始め)

くじらの博物館には「イルカは海のゴキブリである(Dolphins are the cockroaches of the sea)」という銘が掲げられている。その看板は今日もそこにある。行けば誰でも読めます。

(引用終わり)

私は2日間に渡りくじらの博物館を見学したが、そのような展示物は一切認められなかった。
伴野氏自身が2014年9月2日に自称リック・オバリーに質問しており、著書にその内容が記されている。219項9行目からの引用である。

(引用始め)

―ところで、あなたは記者会見でくじらの博物館には「イルカは海のゴキブリである」という看板があると。
「ああ、確かにね、ああ。昨日、朝の七時半に博物館に行って看板をさがしてみたがなくなっていた」
―看板について誰があなたに知らせたのですか。
「覚えているのは一〇年ほど前、私が博物館にいるときに誰かがあそこに『イルカは海のゴキブリである』と書かれているよと教えてくれたんだ。もちろん私自身は読めないんだが。写真を撮っておけばよかった」
―その看板はかつてはあったと考えているのですね。
「そう、かつてはあったんだ」
―誰が翻訳してくれたんですか。
「あー、ちょっと分からない。ええと、君はボイド・ハーネルを知っているね」
―ええ、ジャパン・タイムズの記者ですね。
「彼なら何か覚えているかもしれない。彼とは何回もここに来ているから」
―でも常識的に考えて、そんな銘が掲げられていたとは思えない。だって彼らはイルカショーをやっているんですよ。
「博物館の人たちはそんなものないといっているのかい」
―ええ。
「そうか。ええと、じゃあ多分私の間違いだったんだろう。多分そうだ。だが、ボイド・ハーネルに確認してみないと。それから日本人の女性と結婚して近くに住んでいるオーストラリア人もいる。彼は読めたはずだ。だが、うーん。多分私の間違いだったんだろう。私も間違うことがある。誰しも間違うことはある」

(引用終わり)

まず、くじらの博物館の開場時間は午前8時半から午後5時であり、7時半にどこを確認したのか謎である。記者会見で発言した内容が「間違い」だというのなら、なぜその責任をとらないのか。

「海のゴキブリ」とは元水産庁の小松正之の発言が2001年に I believe the minke whale is the cockroach of the ocean.(ミンククジラは海のゴキブリだと私は信じている。) と海外メディアに報じられたことで広まったフレーズである。小松は 60Minutes The Killing Cove に出演していたため、リック・オバリーはこれをヒントにこのような虚言を思いついたのだろうか。

このように客観的に見てこの人物の証言は信用できないと私は判断する。


司法がどのような判断を下すのかは分からないが、私には原告らの訴えに悪意が感じられる。この民事裁判の行方には注目している。今後も反イルカ漁を標榜する団体個人の活動も観察を続け、必要なら一私人として対処する所存である。

エフセキュア社の問題を注視 - 社員が反社会的活動を行っていた疑惑

インターネットセキュリティの販売を行う エフセキュア (F-Secure)社の日本法人のマーケティングマネージャーが、反社会的な活動を行っていた疑惑について注視している。製品に影響はないのかもしれないが、社の信用が大きく問われるからだ。

該当の人物は 反安倍あざらし隊@MetalGodTokyo なる Twitter アカウントで Facebook 上に320名の個人情報リストを公開したことを公表。関係者やプロフィールなどからエフセキュア社のマーケティングマネージャーとの同一性が疑われている。

この一件は通信サービス会社にて反捕鯨活動を行っていた故人のケースと似ている。よって、エフセキュア社の対応を終始見届けたいと考えている。

海洋のプラスティック - NHKクローズアップ現代を視聴し

10月29日、NHK で放送された特集に興味を持ったため記しておく。

 NHK
 クローズアップ現代
 海に漂う“見えないゴミ” ~マイクロプラスチックの脅威~
 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3725_1.html

プラスティック漂流物を目にすることは日常茶飯事であった。

初島のプラスティックペレット2013年10月18日
静岡県熱海市初島東岸に漂着していた樹脂ペレット(2013年10月18日撮影)
このような透明なペレットが海岸一帯に散らばっていることは珍しいことではなかった。

この番組で取り上げられていたのは、洗顔料などにスクラブとして使用されているマイクロビーズであった。
マイクロビーズについてはNGO 5gyres (ファイヴジャイアズ)などが2014年ごろからその問題を指摘している。樹脂は有害物質を吸着蓄積しやすく、生物に取り込まれるリスクは未知であるという。このため、米国の一部の州ではマイクロビーズの製造、流出の規制に乗り出している。

番組内では LUSH の取り組みも紹介されていた。スクラブの代わりにコーヒー豆など天然素材を使用しているという。この点は評価したいところではあるが、シーシェパードなどの環境保護詐欺集団への支援を止めない限り、私は LUSH という会社を評価することはない。

すぐにでも個人でできることは、プラスティック製品の使用を少なくすることだろう。
私は少し前にスクラブ入りの洗顔料などの使用を止めた。スクラブが表皮を傷つけるのか、目や鼻腔周辺の痒み、剃刀負けが多発したためだ。頭皮のフケや痒みも洗いすぎが考えられた。スクラブ入りの製品使用の停止と、洗顔、洗髪の回数を減らすことで改善がみられた。
また、ペットボトル飲料の購買を控えている。ペットボトルの廃棄場所が限られていることから、紙パック入りの飲料へと切り替えた。必要な場合、ガラスボトルに移し携行することもある。紙パックもガラスボトルも飲み口が広く慎重になる必要があるが、そのぐらいが飲みすぎとならず丁度よい。
一番重要なのが、プラスティック製品を海洋へ投棄しないことだ。「行儀よくゴミを持ち帰る日本人」など、私が見てきた海岸では存在しなかった。

中国、韓国、インドネシア、フィリピン、ベトナムなどの国々が多くのゴミを放出していることも事実だが、日本人が放出していることも事実だ。インフラの整備も重要であり、個人のライフスタイルの変更も必要となろう。

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D'z

Author:D'z
D'z(ダイズ、ディズとでも)
危険なこと、汚れることが大好き
サメ野朗。

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