サラ・ルーカスとは何者か - 毎日新聞の論点
25日、毎日新聞が論点という連載でイルカ漁を取り上げていたようだ。著名な先生方のコメントの他、場違いな人物のコメントがあったため、この主張に対し反論する。
論点:イルカ追い込み漁と水族館
毎日新聞 2015年09月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150925ddm004070019000c.html
まず、前葛西臨海水族園園長の西源次郎先生のコメント。西先生は日本の水族館の発展に大変尽力された方で、私自身も講義を受けたことがある。
次は鯨類に関する著作をお持ちの吉岡基先生のコメント。先生の名は鯨類の論文においてもその名を拝見することがある。
最後に当ブログでも取り上げている、Australia for Dolphins 代表のサラ・ルーカス(Sarah Lucas)のコメント。国内の反捕鯨団体はオファーを断ったのか、この人物がメディアに取り上げられるのは奇異なものである。
Australia for Dolphins は自称リック・オバリー(Richard Barry O'Feldman)やエルザ自然保護の会(代表:辺見栄)、サークリット(代表:坂野正人)、シーシェパードらが制作を主導した映画、 THE COVE の放映後に活動を始めた団体である。サラ・ルーカスはオーストラリアの資産家、アラステア・ルーカス(Alastair Lucas、2015年7月6日死亡)の娘で、団体は明確に太地町のイルカ漁を停止させることを謳っている。
以下はルーカスの主張に対する私の反論である。
高度な神経系や知能を持つイルカは、肉体的な痛みを感じ、恐怖や悲しみといった感情を抱く。これは科学的な研究で明らかだ。
肉体的な痛みを感じるのはイルカだけに限らない。感情とは外界に対する反応で、神経系を持つ動物すべてに言えることであり、ことさら「科学的な研究」などと強調する事項ではない。
漁では高速ボートでイルカを追う。必死で逃げ惑うイルカの中には、筋肉が破断したり、心停止したりするものもいる。
太地町で行われている追い込み漁は高速ボートで追うものではない。金属管の音で追い立て、鯨類の遊泳速度に合わせて湾へと追うものであり、その速度に追いつけない個体が途中で逃れていることや、湾内に入ってからも逃れる個体がいることを、追い込み漁に否定的な意見を持つ鯨類研究者の粕谷俊雄先生が著作に残している。「筋肉が破断したり、心停止したりする個体」の存在は氏の著作や漁業者の証言にもないもので根拠がない。
食肉用のイルカは(死に至る時間を短縮するために)ナイフで脊髄(せきずい)を突いて切断しているが、太地町では傷口に木栓を押し込む。湾内に血が広がるのを防ぎ、残虐さを隠すためだが、このためにイルカは徐々に死ぬことになる。最新の獣医学研究では、致死時間は少なくとも7分で、「トラウマや苦痛のレベルが最も高い」と結論づけている。
脊髄切断用の器具を栓と勘違いしているのではないか。最新の獣医師学研究の結論とやらがどこの誰のものなのか、ぜひ公表していただきたいものだ。
指摘したいのは、今日の追い込み漁が巨大なビジネスになっていることだ。水族館に売られるイルカには(最終的に)1頭4万ドル(約480万円)以上の値が付く。食肉用に年1000頭近くが捕獲されているが、こちらは1頭数百ドルにしかならない。イルカ肉は限られた地域で食べられるだけで、そこでさえ需要は減っているからだ。食料供給が漁の目的の一つという主張は筋が通らない。
指摘したいのは、水族館に売られるイルカには経費がかかるため高額になっているだけであり、巨大なビジネスではないということだ。サラ・ルーカスの父、故アラステア・ルーカスはケニアにシロサイを輸送するのに$100,000 を支払っているが、それと同じことではないのか。年間1000頭近くが食肉用に捕獲されているのであれば、かなりの需要が残っていると言えよう。
例えば水族館のイルカは水槽の中を必死に行ったり来たりし、昏睡(こんすい)したように力なく浮遊するなど、同じ行動を反復する。これはストレスと関連した行動で、野生ではほとんどみられない。
水族館は野生ではないのでそのような行動がみられないのは当然であろう。野生下では摂餌や水面の変化、外敵からの逃避など常に遊泳を続けなければならない状況であることを考えられないのか。
世界動物保護協会によると、生け捕りにされたイルカは3カ月で半数が死ぬ。短期間で死ぬイルカを水族館に毎年補充するために、追い込み漁が続けられてきたのが現実ではないか。
どの地域において、どの種のイルカを指しているのか。日本では水族館に搬入された個体が3カ月で死亡するという例のほうが珍しい。2015年時点で日本では500頭以上の飼育個体が確認されているが、過去5年の国内への補充数は年間60~70頭程度であり、その交換率は10数パーセントと野生下の死亡率と比べて極端に高いものではないと考える。
水族館やショーでなくても、日本では伊豆諸島の御蔵島で野生イルカと一緒に泳ぎ、自然に生きるイルカについて学べる。その方が、不自然な水槽の中で苦しむイルカを見るよりはるかに教育的だ。
では、御蔵島へ行かれたら良い。船の定期便はあるが、東京から6~7時間。気象条件により左右され欠航することもしばしばある。運賃は7000~20000円で移動だけで水族館の入園料の3倍以上。船酔いに耐えながらの弾丸ツアーでも2日は要する。野生下での生存競争に耐えられずに御蔵島に定住した個体群と泳ぐことが教育的だとは私は思わない。
もちろん、私たちは異なる文化には敬意を払うべきだ。だが、太地町でイルカの追い込み漁が始まったのは1969年で、古代からの文化や伝統ではない。たとえ「文化」だとしても、現代の価値観に合わなくなった文化は博物館で記録に残すことで人々の記憶の中に生き続ける。中止はむしろ、自然を敬い、動物を保護するという本当の意味での日本の伝統を守ることになる。
太地町でイルカの追い込み漁が始まったのは1969年ではない。1969年にはくじらの博物館への生体納入のために記録が残っているだけであり、明治政府の発足前から戦後漁協が編成されるまで網での捕獲があったことが記録に残っている。現在の追い込み漁以前は捕鯨砲や銃器による捕獲が主で、これらが制限されたゆえに現在の形式がある。これこそ時代によって姿を変えてきた敬意を払うべき文化であり、その捕獲実績は小型鯨類の生存状況を証明する貴重な記録でもあり、中止すべき理由はない。

http://video.au.msn.com/watch/video/the-killing-cove/x080bq5 より
2014年2月9日にくじらの博物館への入館を拒否されたために670万円の慰謝料を請求したルーカスらだが、2014年2月14日に放映された映像にはサラ・ルーカス(左)、故アラステア・ルーカス(中央)の両名が博物館内にいる様が映っている。この映像は当初、博物館側が人種、思想などを理由に入館拒否をしなかったという証拠となる。このように敷地内で無許可でテレビ番組を収録するという迷惑行為を行っておきながら訴訟を起こすことがイルカのためになるのか疑問である。故人に鞭打つつもりはないが、ゴールドマン・サックス・オーストラリアの重役であったアラステア・ルーカスがこのような活動をしていたことには憤りを覚える。
WAZA や JAZA の決定を私は歓迎しない。本件では繁殖個体についても論じられているが、鯨類の種別の繁殖具合が分析されていない。例えば、日本では繁殖が極めて難しいゴンドウクジラやカマイルカも多く飼育しているが、欧米でははどうなのか。欧米では隣国とのトレードも可能であり、出生のロンダリングも行える。また、イルカの飼育を法的に放棄している国もあるが、宗教上の理由が関係していないのか。イギリスではビクトリア朝時代にイルカの飼育をしているが、雄の個体がしばしば性器を露出するということで飼育を禁じられた。そのような背景を持つ国は鯨類の飼育に否定的になるのは当然の成り行きであろう。
2015年、米国に500頭以上、メキシコに300頭以上、欧州に269頭、中国に294頭、その他の国に少なくとも900頭以上の飼育が確認されているが、これら飼育個体の出生はどうなのか?島国であり、食文化を持つ日本の追い込み漁だけが批判されるいわれはあるのか?
私は今後も漁業や水族館、研究を通じて鯨類と関わる人々を支援する所存である。
関連エントリ
サラ・ルーカスとは何者か - 財務状況を公表しない訴訟目的の団体 Australia For Dolphins
論点:イルカ追い込み漁と水族館
毎日新聞 2015年09月25日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150925ddm004070019000c.html
まず、前葛西臨海水族園園長の西源次郎先生のコメント。西先生は日本の水族館の発展に大変尽力された方で、私自身も講義を受けたことがある。
次は鯨類に関する著作をお持ちの吉岡基先生のコメント。先生の名は鯨類の論文においてもその名を拝見することがある。
最後に当ブログでも取り上げている、Australia for Dolphins 代表のサラ・ルーカス(Sarah Lucas)のコメント。国内の反捕鯨団体はオファーを断ったのか、この人物がメディアに取り上げられるのは奇異なものである。
Australia for Dolphins は自称リック・オバリー(Richard Barry O'Feldman)やエルザ自然保護の会(代表:辺見栄)、サークリット(代表:坂野正人)、シーシェパードらが制作を主導した映画、 THE COVE の放映後に活動を始めた団体である。サラ・ルーカスはオーストラリアの資産家、アラステア・ルーカス(Alastair Lucas、2015年7月6日死亡)の娘で、団体は明確に太地町のイルカ漁を停止させることを謳っている。
以下はルーカスの主張に対する私の反論である。
高度な神経系や知能を持つイルカは、肉体的な痛みを感じ、恐怖や悲しみといった感情を抱く。これは科学的な研究で明らかだ。
肉体的な痛みを感じるのはイルカだけに限らない。感情とは外界に対する反応で、神経系を持つ動物すべてに言えることであり、ことさら「科学的な研究」などと強調する事項ではない。
漁では高速ボートでイルカを追う。必死で逃げ惑うイルカの中には、筋肉が破断したり、心停止したりするものもいる。
太地町で行われている追い込み漁は高速ボートで追うものではない。金属管の音で追い立て、鯨類の遊泳速度に合わせて湾へと追うものであり、その速度に追いつけない個体が途中で逃れていることや、湾内に入ってからも逃れる個体がいることを、追い込み漁に否定的な意見を持つ鯨類研究者の粕谷俊雄先生が著作に残している。「筋肉が破断したり、心停止したりする個体」の存在は氏の著作や漁業者の証言にもないもので根拠がない。
食肉用のイルカは(死に至る時間を短縮するために)ナイフで脊髄(せきずい)を突いて切断しているが、太地町では傷口に木栓を押し込む。湾内に血が広がるのを防ぎ、残虐さを隠すためだが、このためにイルカは徐々に死ぬことになる。最新の獣医学研究では、致死時間は少なくとも7分で、「トラウマや苦痛のレベルが最も高い」と結論づけている。
脊髄切断用の器具を栓と勘違いしているのではないか。最新の獣医師学研究の結論とやらがどこの誰のものなのか、ぜひ公表していただきたいものだ。
指摘したいのは、今日の追い込み漁が巨大なビジネスになっていることだ。水族館に売られるイルカには(最終的に)1頭4万ドル(約480万円)以上の値が付く。食肉用に年1000頭近くが捕獲されているが、こちらは1頭数百ドルにしかならない。イルカ肉は限られた地域で食べられるだけで、そこでさえ需要は減っているからだ。食料供給が漁の目的の一つという主張は筋が通らない。
指摘したいのは、水族館に売られるイルカには経費がかかるため高額になっているだけであり、巨大なビジネスではないということだ。サラ・ルーカスの父、故アラステア・ルーカスはケニアにシロサイを輸送するのに$100,000 を支払っているが、それと同じことではないのか。年間1000頭近くが食肉用に捕獲されているのであれば、かなりの需要が残っていると言えよう。
例えば水族館のイルカは水槽の中を必死に行ったり来たりし、昏睡(こんすい)したように力なく浮遊するなど、同じ行動を反復する。これはストレスと関連した行動で、野生ではほとんどみられない。
水族館は野生ではないのでそのような行動がみられないのは当然であろう。野生下では摂餌や水面の変化、外敵からの逃避など常に遊泳を続けなければならない状況であることを考えられないのか。
世界動物保護協会によると、生け捕りにされたイルカは3カ月で半数が死ぬ。短期間で死ぬイルカを水族館に毎年補充するために、追い込み漁が続けられてきたのが現実ではないか。
どの地域において、どの種のイルカを指しているのか。日本では水族館に搬入された個体が3カ月で死亡するという例のほうが珍しい。2015年時点で日本では500頭以上の飼育個体が確認されているが、過去5年の国内への補充数は年間60~70頭程度であり、その交換率は10数パーセントと野生下の死亡率と比べて極端に高いものではないと考える。
水族館やショーでなくても、日本では伊豆諸島の御蔵島で野生イルカと一緒に泳ぎ、自然に生きるイルカについて学べる。その方が、不自然な水槽の中で苦しむイルカを見るよりはるかに教育的だ。
では、御蔵島へ行かれたら良い。船の定期便はあるが、東京から6~7時間。気象条件により左右され欠航することもしばしばある。運賃は7000~20000円で移動だけで水族館の入園料の3倍以上。船酔いに耐えながらの弾丸ツアーでも2日は要する。野生下での生存競争に耐えられずに御蔵島に定住した個体群と泳ぐことが教育的だとは私は思わない。
もちろん、私たちは異なる文化には敬意を払うべきだ。だが、太地町でイルカの追い込み漁が始まったのは1969年で、古代からの文化や伝統ではない。たとえ「文化」だとしても、現代の価値観に合わなくなった文化は博物館で記録に残すことで人々の記憶の中に生き続ける。中止はむしろ、自然を敬い、動物を保護するという本当の意味での日本の伝統を守ることになる。
太地町でイルカの追い込み漁が始まったのは1969年ではない。1969年にはくじらの博物館への生体納入のために記録が残っているだけであり、明治政府の発足前から戦後漁協が編成されるまで網での捕獲があったことが記録に残っている。現在の追い込み漁以前は捕鯨砲や銃器による捕獲が主で、これらが制限されたゆえに現在の形式がある。これこそ時代によって姿を変えてきた敬意を払うべき文化であり、その捕獲実績は小型鯨類の生存状況を証明する貴重な記録でもあり、中止すべき理由はない。

http://video.au.msn.com/watch/video/the-killing-cove/x080bq5 より
2014年2月9日にくじらの博物館への入館を拒否されたために670万円の慰謝料を請求したルーカスらだが、2014年2月14日に放映された映像にはサラ・ルーカス(左)、故アラステア・ルーカス(中央)の両名が博物館内にいる様が映っている。この映像は当初、博物館側が人種、思想などを理由に入館拒否をしなかったという証拠となる。このように敷地内で無許可でテレビ番組を収録するという迷惑行為を行っておきながら訴訟を起こすことがイルカのためになるのか疑問である。故人に鞭打つつもりはないが、ゴールドマン・サックス・オーストラリアの重役であったアラステア・ルーカスがこのような活動をしていたことには憤りを覚える。
WAZA や JAZA の決定を私は歓迎しない。本件では繁殖個体についても論じられているが、鯨類の種別の繁殖具合が分析されていない。例えば、日本では繁殖が極めて難しいゴンドウクジラやカマイルカも多く飼育しているが、欧米でははどうなのか。欧米では隣国とのトレードも可能であり、出生のロンダリングも行える。また、イルカの飼育を法的に放棄している国もあるが、宗教上の理由が関係していないのか。イギリスではビクトリア朝時代にイルカの飼育をしているが、雄の個体がしばしば性器を露出するということで飼育を禁じられた。そのような背景を持つ国は鯨類の飼育に否定的になるのは当然の成り行きであろう。
2015年、米国に500頭以上、メキシコに300頭以上、欧州に269頭、中国に294頭、その他の国に少なくとも900頭以上の飼育が確認されているが、これら飼育個体の出生はどうなのか?島国であり、食文化を持つ日本の追い込み漁だけが批判されるいわれはあるのか?
私は今後も漁業や水族館、研究を通じて鯨類と関わる人々を支援する所存である。
関連エントリ
サラ・ルーカスとは何者か - 財務状況を公表しない訴訟目的の団体 Australia For Dolphins
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日本警察は大丈夫か?
連日、警察の失態が報道されており、かねてより疑問に思っていたことを綴ることにする。
紀州犬の射殺に13発
14日、千葉県松戸市で警官が犬を射殺した件では警官の事前準備と射撃能力が疑われる。犬に13発を命中させたわけではなく、3人の警官が犬を射殺するまでに13発を要したということが問題であろう。
警官らは13日から飼い主の男性の協力を得て捕獲を試みようとしたようだ。犬を発見後、左腕に手ぬぐいを巻き噛みつかせようとした飼い主の行動は正しかったが、これが失敗した。よって警官が犬を射殺するという判断を下したようだが、時間帯が良くなかった。日本の警察官が携行している拳銃は銃身2インチ以下の回転拳銃で、夜間には照準がまったく見えない。私は4インチの38口径の実弾射撃の経験しているが、これがまた当たらなかった。44マグナムの方が反動が大きいが銃身が重いためか、的を捉えていた。精度が高くもない銃で、照準も見えず、人よりも小さく素早い目標に銃弾を命中させることが困難であったことは想定できる。
しかし、住宅街で2名の警官が弾倉を空にするまで発砲するという事態は、警察の信用を失墜させるものだ。千葉県警は「拳銃の使用は適正だった」と発表しているが、捕物が人間ではなく犬と事前に情報を得ていたのにも関わらず、現場の人員に通常対応をさせたことは適正ではなかったと私は考える。また、拳銃の照門、照星に夜光塗料を塗布する、拳銃を保持しながら照射できるフラッシュライトを配備、貸与するなど、夜間の射撃に必要な対策が必要であろう。
被疑者を逃がす、埼玉県警
13日、埼玉県警が任意聴取していたペルー人の逃走を許し、後に6人もの殺害が判明したうえに被疑者は意識不明という最悪の事態が報道されている。任意聴取中に拘束する事由はなかったというが、警察での聴取が引き金となった可能性は捨てきれない。だいたい、対象者に煙草を吸わせるのに玄関まで行く必要があるのか?熊谷署内は完全禁煙で拘束中の人間にも外で煙草を吸わせているとでもいうのか?「意味不明なことを言っている」という通報を受けたならば薬物中毒や精神疾患を疑い、慎重に扱うべきであり、煙草のような嗜好品の摂取もさせるべきではなかっただろう。
埼玉県警には不祥事が多い。10000人もいればトラブルも起こるだろうが、許されることではない。襟を正していただきたいものだ。
特殊銃の扱いが?栃木県警
今年3月、栃木県警の年頭視閲式の写真を雑誌で見た際、特殊銃の扱いに違和感を覚えた。

Gun Professionals 2015年9月号105項 小堀ダイスケ氏 撮影の写真より
HK社のMP5Fに光学照準器とフラッシュライト。申し分のない装備だが、負い紐(スリング)が首にかかっているのが謎である。他の銃器対策班などは負い紐を肩に通しており、このように首だけにかけるような部隊は初めて見た。各々の部隊の運用方法というものがあるのだろうが、もし仮にこの状態で不意に犯人に遭遇し揉み合った場合、負い紐で首を絞められる可能性がある。これでは新型のアーマーのネックガードも意味をなさない。
また、右側に防弾装備を着装していない班を並ばせていることが問題だ。銃口は例え弾薬を装填していなくとも、味方に向けてはならない。栃木県警の年頭視閲式では特殊銃を装備した部隊が最右翼に配置されるため、控え銃の際銃口が隣接する人員の頭に向いてしまう。対策として、特殊銃を装備した部隊は他の部隊と離れ単独で列をつくるか、千葉県警のように特殊銃は背負ったまま、常に銃口は上に向くようにするなどがある。
ハイマウント過ぎる特殊銃
対テロ訓練のたびに失望させられるのが、このハイマウント過ぎる特殊銃である。

Strike And Tactical 2015年5月号 64項 大塚正諭氏 撮影の写真より
これは今年2月に兵庫県で行われた3港合同の対テロ訓練の様子を撮影したものであるが、警察が使用するMP5に違和感を覚えた。ハイマウントにさらにハイマウントを重ねて照準器を装着するという奇妙な銃だからだ。
これには理由があり、ヘルメットの防弾バイザーが銃のストック部に当たって照準を覗くことができないからだ。しかし、ここまで照準を高くした銃を日本警察の装備以外で見たことがない。照準が銃身から離れるほど視差が生じ、遮蔽物からの射撃では照準を覗くため頭部を敵方に晒しやすい。マウントが2重になっているため、双方の締めがゆるいと照準が狂ってくるなど、デメリットが多い。欧州ではこの問題を解決するため、ブルガー&トーメ社のバイザーヘルメットストック(visor helmet stock)というバイザーが干渉しないストックを装着している部隊がある。
残念ながら、7月に行われた国会議事堂内での対テロ訓練でもこのような特殊銃が使われていた。公にされていないより先進的な装備が配備されているとは思うが、このような奇妙な銃を公にはしないでほしかったものだ。
願わくばこの記事が警察関係者の目にとまり、警察内の運用を再考されんことを。
紀州犬の射殺に13発
14日、千葉県松戸市で警官が犬を射殺した件では警官の事前準備と射撃能力が疑われる。犬に13発を命中させたわけではなく、3人の警官が犬を射殺するまでに13発を要したということが問題であろう。
警官らは13日から飼い主の男性の協力を得て捕獲を試みようとしたようだ。犬を発見後、左腕に手ぬぐいを巻き噛みつかせようとした飼い主の行動は正しかったが、これが失敗した。よって警官が犬を射殺するという判断を下したようだが、時間帯が良くなかった。日本の警察官が携行している拳銃は銃身2インチ以下の回転拳銃で、夜間には照準がまったく見えない。私は4インチの38口径の実弾射撃の経験しているが、これがまた当たらなかった。44マグナムの方が反動が大きいが銃身が重いためか、的を捉えていた。精度が高くもない銃で、照準も見えず、人よりも小さく素早い目標に銃弾を命中させることが困難であったことは想定できる。
しかし、住宅街で2名の警官が弾倉を空にするまで発砲するという事態は、警察の信用を失墜させるものだ。千葉県警は「拳銃の使用は適正だった」と発表しているが、捕物が人間ではなく犬と事前に情報を得ていたのにも関わらず、現場の人員に通常対応をさせたことは適正ではなかったと私は考える。また、拳銃の照門、照星に夜光塗料を塗布する、拳銃を保持しながら照射できるフラッシュライトを配備、貸与するなど、夜間の射撃に必要な対策が必要であろう。
被疑者を逃がす、埼玉県警
13日、埼玉県警が任意聴取していたペルー人の逃走を許し、後に6人もの殺害が判明したうえに被疑者は意識不明という最悪の事態が報道されている。任意聴取中に拘束する事由はなかったというが、警察での聴取が引き金となった可能性は捨てきれない。だいたい、対象者に煙草を吸わせるのに玄関まで行く必要があるのか?熊谷署内は完全禁煙で拘束中の人間にも外で煙草を吸わせているとでもいうのか?「意味不明なことを言っている」という通報を受けたならば薬物中毒や精神疾患を疑い、慎重に扱うべきであり、煙草のような嗜好品の摂取もさせるべきではなかっただろう。
埼玉県警には不祥事が多い。10000人もいればトラブルも起こるだろうが、許されることではない。襟を正していただきたいものだ。
特殊銃の扱いが?栃木県警
今年3月、栃木県警の年頭視閲式の写真を雑誌で見た際、特殊銃の扱いに違和感を覚えた。

Gun Professionals 2015年9月号105項 小堀ダイスケ氏 撮影の写真より
HK社のMP5Fに光学照準器とフラッシュライト。申し分のない装備だが、負い紐(スリング)が首にかかっているのが謎である。他の銃器対策班などは負い紐を肩に通しており、このように首だけにかけるような部隊は初めて見た。各々の部隊の運用方法というものがあるのだろうが、もし仮にこの状態で不意に犯人に遭遇し揉み合った場合、負い紐で首を絞められる可能性がある。これでは新型のアーマーのネックガードも意味をなさない。
また、右側に防弾装備を着装していない班を並ばせていることが問題だ。銃口は例え弾薬を装填していなくとも、味方に向けてはならない。栃木県警の年頭視閲式では特殊銃を装備した部隊が最右翼に配置されるため、控え銃の際銃口が隣接する人員の頭に向いてしまう。対策として、特殊銃を装備した部隊は他の部隊と離れ単独で列をつくるか、千葉県警のように特殊銃は背負ったまま、常に銃口は上に向くようにするなどがある。
ハイマウント過ぎる特殊銃
対テロ訓練のたびに失望させられるのが、このハイマウント過ぎる特殊銃である。

Strike And Tactical 2015年5月号 64項 大塚正諭氏 撮影の写真より
これは今年2月に兵庫県で行われた3港合同の対テロ訓練の様子を撮影したものであるが、警察が使用するMP5に違和感を覚えた。ハイマウントにさらにハイマウントを重ねて照準器を装着するという奇妙な銃だからだ。
これには理由があり、ヘルメットの防弾バイザーが銃のストック部に当たって照準を覗くことができないからだ。しかし、ここまで照準を高くした銃を日本警察の装備以外で見たことがない。照準が銃身から離れるほど視差が生じ、遮蔽物からの射撃では照準を覗くため頭部を敵方に晒しやすい。マウントが2重になっているため、双方の締めがゆるいと照準が狂ってくるなど、デメリットが多い。欧州ではこの問題を解決するため、ブルガー&トーメ社のバイザーヘルメットストック(visor helmet stock)というバイザーが干渉しないストックを装着している部隊がある。
残念ながら、7月に行われた国会議事堂内での対テロ訓練でもこのような特殊銃が使われていた。公にされていないより先進的な装備が配備されているとは思うが、このような奇妙な銃を公にはしないでほしかったものだ。
願わくばこの記事が警察関係者の目にとまり、警察内の運用を再考されんことを。
雲見くじら館
去る8月、学生時代のサーフィンの帰路、静岡県賀茂郡松崎町で見た「くじら館」を詳細を確かめるべく、11年ぶりに松崎町を訪れた。非常に興味深い史料が展示されていたため、随時紹介していく。

建物の3階が道路と面しており、車両を2、3台駐車することができる。受付は旅館などの案内所を兼ねており、入場料大人100円、子ども50円である。

受付から階段を降り、2階が展示場となっていた。セミクジラの骨格標本の他、地元の民俗史料、捕鯨絵巻の写しなどが展示されていた。このセミクジラは1977年に雲見海岸沖で発見され、和歌山県太地町の人々により解体されたものである。この話でクジラを解体するということが困難な業であるということを改めて認識させられた。
過去には1階で食事ができたようだが、現在は閉鎖されている。

建物の近く雲見海岸に建てられた供養碑。セミクジラに 滄海院鯨音魚士(そうかいいんげいいんぎょじ) の戒名が与えられ、現在も花が手向けられていた。

館内には当時の写真などの資料が多く展示されているが、個人的に最も興味深かったのが捕鯨絵巻の写しである。
ヒゲクジラ以外の小型鯨類やマンボウが特徴を捉えて描かれている。古式捕鯨ではヒゲクジラ以外にイルカも雑魚や外道として捕獲されていたのではないかということが推測できる。中央には シロ というアルビノか白変種のゴンドウクジラらしきものが描かれている。
(写真は一部トリミング加工)
この他にも多くの史料が展示されていたが、残念なのはそれらの劣化が激しいことである。展示物の一部が欠損していたり、手書きの文字が消え読むのが困難になっているものもある。東日本大震災以降、節電のためエアコンは使われていないようで、標本や写真の痛みが心配される。
もし、この地を訪れることがあったのなら、休憩がてら、このくじら館に寄ってみてほしい。もはや捕獲がかなわないセミクジラの貴重な骨格標本を見ていただきたい。

建物の3階が道路と面しており、車両を2、3台駐車することができる。受付は旅館などの案内所を兼ねており、入場料大人100円、子ども50円である。

受付から階段を降り、2階が展示場となっていた。セミクジラの骨格標本の他、地元の民俗史料、捕鯨絵巻の写しなどが展示されていた。このセミクジラは1977年に雲見海岸沖で発見され、和歌山県太地町の人々により解体されたものである。この話でクジラを解体するということが困難な業であるということを改めて認識させられた。
過去には1階で食事ができたようだが、現在は閉鎖されている。

建物の近く雲見海岸に建てられた供養碑。セミクジラに 滄海院鯨音魚士(そうかいいんげいいんぎょじ) の戒名が与えられ、現在も花が手向けられていた。

館内には当時の写真などの資料が多く展示されているが、個人的に最も興味深かったのが捕鯨絵巻の写しである。
ヒゲクジラ以外の小型鯨類やマンボウが特徴を捉えて描かれている。古式捕鯨ではヒゲクジラ以外にイルカも雑魚や外道として捕獲されていたのではないかということが推測できる。中央には シロ というアルビノか白変種のゴンドウクジラらしきものが描かれている。
(写真は一部トリミング加工)
この他にも多くの史料が展示されていたが、残念なのはそれらの劣化が激しいことである。展示物の一部が欠損していたり、手書きの文字が消え読むのが困難になっているものもある。東日本大震災以降、節電のためエアコンは使われていないようで、標本や写真の痛みが心配される。
もし、この地を訪れることがあったのなら、休憩がてら、このくじら館に寄ってみてほしい。もはや捕獲がかなわないセミクジラの貴重な骨格標本を見ていただきたい。
自称リック・オバリーの逮捕 - Ric O'Barry was arrested
8月31日、和歌山県警がイルカ漁を批判した映画 THE COVE に主演した、自称リック・オバリー(Ric O'Barry)を旅券不携帯で逮捕した。リック・オバリーは昨年の職務質問のときよりマークされていたことが当ブログのアクセス記録から推察できる。旅券不携帯では出入国管理及び難民認定法第76条により10万円以下の罰金に科せられるだろう。居酒屋などでビールを飲んでレンタカーを運転した飲酒運転の疑いもあったが、検出されたアルコールは基準値以下だったようだ。
さて、このリック・オバリーという人物であるが、旅券上の名義はリチャード・バリ・オフェルドマン(Richard Barry O'Feldman)、あるいはその他の姓であることが分かっている。本人は過去に「映画に出演するために名前を短縮して O'Barry とした」と証言しており、頑なにリック・オバリーを名乗っていたのには映画への出演の他、捜査のかく乱や過去の経歴を隠すことを狙ったものだと思われる。

リック・オバリーがネットに掲載している画像。
1970年4月22日、リック・オバリーはアースデイにあわせて計画的にビミニ諸島の施設の網を破壊したが、イルカは船で追いかけまわしても施設内から逃げなかった。あきらめたオフェルドマンは保身のため自首した。


1974年のモノクロ映画、Lenny (レニー・ブルース)に登場した裁判員役のリック・オバリー
Ric O'Feldman の芸名を使用していた。


1976年の映画、地獄のジョーズ/'87最後の復讐(Mako: The Jaws of Death)保安官役のリック・オバリー
RIC O'FELDMAN を使用。

1980年のテレビ映画、GIANT CLAWS(ISLAND CLAWS,NIGHT OF THE CLAW,邦題:グルメホラー 血まみれ海岸・人喰いクラブ/地獄のシオマネキ・カニ味噌のしたたり)より巨大な蟹に拳銃で立ち向かうチャーリー役のリック・オバリー。

1988年、テレビ映画 SUPERCARRIER(スーパーキャリア) に登場したリック・オバリー(左)
立ち入り禁止海域で釣りをしようとしていたところに米海軍の空母が出現するシーン。

ソ連空軍のTu-95爆撃機の乗員役のリック・オバリー(右)
米海軍のF/A-18のパイロットがレーガン大統領の覆面を被っていたため、水着美女のポスターを見せて応酬するシーン。

このころには RICK O'BARRY の芸名を使っていた。
今後、リック・オバリーの訪日は難しくなるだろう。
日本国内でリック・オバリーの世話役をしていたのは静岡県伊東市に在住の石井泉、利島ドルフィン・プロジェクト(サークリット)の坂野正人、エルザ自然保護の会の辺見栄(藤原栄)ということもインターネットや書籍などから判明している。これらは新右翼を名乗る一水会の鈴木邦男とも関係があり、現在も活動中である。
先日28日、リック・オバリー、石井泉らは伊東市役所を訪れオバリーが親善大使に任命されたなどという虚偽の事実をインターネット上に発信するということをしてのけたようだ。関係各所には、これら橋渡し役の団体個人の動きにも注意していただきたい。
さて、このリック・オバリーという人物であるが、旅券上の名義はリチャード・バリ・オフェルドマン(Richard Barry O'Feldman)、あるいはその他の姓であることが分かっている。本人は過去に「映画に出演するために名前を短縮して O'Barry とした」と証言しており、頑なにリック・オバリーを名乗っていたのには映画への出演の他、捜査のかく乱や過去の経歴を隠すことを狙ったものだと思われる。

リック・オバリーがネットに掲載している画像。
1970年4月22日、リック・オバリーはアースデイにあわせて計画的にビミニ諸島の施設の網を破壊したが、イルカは船で追いかけまわしても施設内から逃げなかった。あきらめたオフェルドマンは保身のため自首した。


1974年のモノクロ映画、Lenny (レニー・ブルース)に登場した裁判員役のリック・オバリー
Ric O'Feldman の芸名を使用していた。


1976年の映画、地獄のジョーズ/'87最後の復讐(Mako: The Jaws of Death)保安官役のリック・オバリー
RIC O'FELDMAN を使用。

1980年のテレビ映画、GIANT CLAWS(ISLAND CLAWS,NIGHT OF THE CLAW,邦題:グルメホラー 血まみれ海岸・人喰いクラブ/地獄のシオマネキ・カニ味噌のしたたり)より巨大な蟹に拳銃で立ち向かうチャーリー役のリック・オバリー。

1988年、テレビ映画 SUPERCARRIER(スーパーキャリア) に登場したリック・オバリー(左)
立ち入り禁止海域で釣りをしようとしていたところに米海軍の空母が出現するシーン。

ソ連空軍のTu-95爆撃機の乗員役のリック・オバリー(右)
米海軍のF/A-18のパイロットがレーガン大統領の覆面を被っていたため、水着美女のポスターを見せて応酬するシーン。

このころには RICK O'BARRY の芸名を使っていた。
今後、リック・オバリーの訪日は難しくなるだろう。
日本国内でリック・オバリーの世話役をしていたのは静岡県伊東市に在住の石井泉、利島ドルフィン・プロジェクト(サークリット)の坂野正人、エルザ自然保護の会の辺見栄(藤原栄)ということもインターネットや書籍などから判明している。これらは新右翼を名乗る一水会の鈴木邦男とも関係があり、現在も活動中である。
先日28日、リック・オバリー、石井泉らは伊東市役所を訪れオバリーが親善大使に任命されたなどという虚偽の事実をインターネット上に発信するということをしてのけたようだ。関係各所には、これら橋渡し役の団体個人の動きにも注意していただきたい。